西山光太

南房総の素材のみで作る「あわ焼」がつなぐ関係

―まずは、この場所に移住したきっかけを教えてください。

西山光太(以下、西山):僕は元々、神奈川県の相模原の育ちなんです。東京の大学で陶芸を学び、研究生過程まで修了したあと、相模原で作家として独立しました。館山に越してきたのは、2010年頃です。この家は元々、友人のおじいさんが住んでいた家で、僕が移住を考えている頃に縁あって紹介してもらいました。

―館山ありきで引っ越された訳ではないんですね

西山:そうですね。極端な話をすると、今は粘土はどこにいても手に入る時代なので、窯が焚ければ問題なかったんです。相模原時代は、住宅街で煙が上げられない環境だったので、煙が上げられる環境がある田舎に行きたいと思っていました。移住当初は外から粘土を取り寄せて制作するスタイルから始めました。館山での暮らしに馴染んできた頃、2014年に隣地区の塩見の古民家で個展を開く機会がありました。千葉大学岡部研究室の活動による、老朽化が進んだ集落最後の茅葺き古民家を修復する活動「かやぶきゴンジロウ」のお披露目と合わせての発表でした。そこで色々な人と知り合い、広がりができました。その中で、あわデザインスタジオの建築家である岸田一輝さんとfree style furniture DEWの今井茂淑さんと「地元素材で何かやろう」という話になりました。そこで、元々がタバコの葉の貯蔵庫などに使われていた古い建物を利用し、そこで「工芸の地産地消」をテーマに、南房総らしい暮らしを考える「南房総の暮らしをつくるデザイン&クラフト展」をやることになりました。陶芸で地元の土を使いたいというのは元々は頭の中にあったので、これが南房総の粘土を使った焼き物「あわ焼」制作のきっかけになったんです。

―それ以前は、原土は購入していたんですね。

西山:基本的には粘土屋から粘土を購入したり、あるいは原土の状態で購入したものを自分で調合して使っていました。掘った状態の粘土を精製、調合すると面白いものが出来るので、そうした研究はずっとしていたんです。掘った原土から粘土にする過程は分かっていたので、館山で暮らすうちに、南房総の土を使った焼き物をつくれないかとは思っていました。ただ、誰に訊いても最初は「この地域の土は使えないんじゃないかな」と言われていました。移住当初から色々な場所を掘ってみたいと思ったんですが、まあどこの馬の骨だか分からない僕が「掘らせて」と言ってもなかなか難しかったのですが、この展示を機に、岸田さんを通して数名の協力者を紹介してもらいました。採集した粘土は、いわゆる一般の粘土よりも耐火度が弱いので、最初の実験の窯焚きではほぼ全ての作品が歪んで潰れてしまいました。回を重ねて窯の温度を低くして焼いていくと、形になることがわかりました。土が焼き締まる温度と、釉薬が溶ける温度が一致しないと焼き物はできないので、ちょうどいい温度に土、釉薬、窯を合わせることで、完成に近づいていきました。

―かなり試行錯誤されているんですね。普通の陶芸家さんは上手くいかなかったらやめて、地元の土にこだわるという人は少ないと思うんですけど、そこまでここの土にこだわっていくのは何故ですか?

西山:自分が暮らしている土地の土で器を作りたいという気持ちは元々あったのと、やってみたらかなり出来そうだったので。というのと、あとは面白いというか、色々な人と繋がることが出来たり、コミュニケーションツールではないですけど、焼き物で色々な人と繋がったりしていくうちに、もう僕のものではなくなっていくような感覚が芽生えてきたんです。色々な人が本当に自分ごとのようにやってくれるんですよ。それで、色々な出会いが重なっていくうちに、僕もどんどんと形にしたい気持ちになっていきました。

―土が繋いでくれる関係性みたいなものでしょうか?

西山:そういう面が大きいかもしれないです。どんどん面白いものが焼けてくるという実感もありました。作家としての作品制作もやりながら、もう一個のレイヤーで「あわ焼」もやりつつ。東京などで発表はしないで、最初は元々、「工芸の地産地消」というテーマで始まっていたので、「ここの素材で、ここで作って、ここ人々に使ってもらう」とか「ここでやって、東京の人に来てもらう」じゃないけど(笑)、兎に角、ここでどんどん面白いことやろうというノリでした。

―「あわ焼」という名前をつけたのはいつぐらいですか?

西山:展示会の発表の時なので、2017年ですね。南房総は「安房(あわ)」とも呼ばれるので、そこから名付けました。

―どこの土でも焼き物は出来るといえるんですかね?

西山:難しいところですね。安房の土が陶芸に適しているかどうかでいうとそんなに適してはいないと思うんですよ。出来るけど、適してはいないというか。もっと耐火度の高い粘土や、白い粘土や、磁土が採れる九州の方とか。本当に粘土が山ほど掘れる場所はいっぱいあって。そこはやっぱり産地になったりする。ここで出来なくはないけど、栄えるかどうかで言えば、わからない。逆に、こういうやり方だからよかったのかもしれません。今だから面白いというか。そういう面はあるとは思いますね。

―一般的な職人さんのイメージって、伝統を守りながら継いでいくような仕事の仕方だと思うんですけれど「新しい焼き物を作ってやろう」という新しさを求めることとの関係はどうなんでしょうか。職人ってなんだろうというようなことにも関わるかもしれないですけど、西山さんにとってはどうですか?新しい焼き物を作るって、結構挑戦的なことなのかな、と思ったりするんですけれど。

西山:新しいことと言っても、それはやっぱり歴史や伝統の上に成り立つものだと思います。最低限の知識や技術はどうしても必要になってくるので、そこは外せないというか。ちゃんとした根っこがないと、面白いこと、新しいこともなかなかできないだろうなとは思っています。職人的な気質、技とか、ずっと繰り返すこととか、そういう姿勢は必要だと思いますね。そうすれば新しいことも出来るし、古いことも出来る。

―繰り返しやっていく。

西山:新しいことをやるにも、基礎があるとやりやすいですかね。知識や経験の積み重ねは大切だと思います。

―素材と話が出来るようになるというような感覚でしょうか?

西山:そうですね。やるうちに、どんどんと色々なコツを掴んでいくというのがあるので。あわ焼なんかは何度もやりながら、どんどん良くしていくという感じです。

―新しいものを創り出していく一方で、時代を経て古くなっていった、広い意味での古材、色々なものが古びていくにつれて表情を持ったりする、そんな使い込む魅力もあるのかなと思うんですが。焼き物は長い時間持ちますよね。でも、一旦割れてしまったら元どおりにはならないので、金継ぎが最近流行っていたりする。ものが古くなっていくことへの魅力をどう考えますか?

西山:焼き物は、1万年経っても存在するので、縄文土器とか(笑)。割らなければ、半永久的にもちます。色々な変遷を経て今にありますよね。物語を考えれば考えるほど面白いと思います。その点ですと、経年の魅力というのは器は山ほどありますね。僕も古いものや使い込まれたものは本当に好きです。

―モノって人間より長く生きるじゃないですか。1万年って聞くと、焼き物すごいな、と。だいぶ長生きな感じがしますね。

西山:地球の一部みたいなものですからね。それをちょっと熱で動かしたというか。そういうイメージが、あわ焼をやるほど思えてきて。草木とか、土石、そういった自然の一部を調合して、形が変わって焼き物になっただけなので。考えれば考えるほど面白いなと。

―製品やプロダクトといったモノを作るというよりは、自然のものの形を借りて、変えていっているというイメージですか。

西山:あわ焼の制作過程はそう言った行為をしていると思いますが、僕は最終的にアートピースに落とし込むというよりは「器」という製品に落とし込んでいますね。土から粘土にする過程を見てもらうと分かりやすいと思うんですが、掘ってきた「あわ土」にはまだ根っこなどの不純物が混じっています。それを水で溶くか、乾燥させて砕くかして、網で濾して、不純物を取り除きます。寝かせたあとに捏ねると粘土になります。その後、粘土を整形してボディをつくります。釉薬は木や草を燃やした灰と土石を使います。灰を水に混ぜて沈め、上水を切るという水簸(すいひ)という作業を繰り返すことで灰汁を取っていき、段々と安定した使いやすい釉薬になってきます。他にも釉薬には、地元の人に白土(ハクド)と呼ばれる素材があるのですが、それを洞窟などで採掘したものを使っています。白土(ハクド)と言っても実は土ではなく、火山灰が凝固されたもので、かつて館山の人は産業として掘り起こしていたという歴史があるんです。

―白土を掘り起こす産業が成り立っていたんですね。

西山:白土自体が、クレンザーや研磨剤に使われていたようです。第一回の「南房総の暮らしをつくるデザイン&クラフト展」の時に、「房州砂知ってるか?ハクド。」っという声をよく聞きました。僕はその頃知らなかったんですが、「ハクドは陶芸にも使えるんじゃないかね」と。次は白土だなと思って探したんですが、最初は見つからなかったんです。今も安房地域には、かつて白土を採掘していたと思われる小さな洞窟の穴は沢山残っているんですが、他人の土地から勝手に取るわけにはいかない。探しているうち、奇跡的にも知り合いの地域おこし協力隊の方の土地に、白土を掘ったであろう洞窟があると教えてくれたんです。数名で意気揚々インディージョーンズなんか聞きながら洞窟へ探しに行くと、そこに見事にあったんです。僕は南房総の素材のみでは釉薬表現は難しいかなと思っていましたが、だんだんと可能性があるんじゃないかという話になっていきました。そこから、いろいろな方に手伝ってもらい、様々な素材を集めて実験するようになりました。とあるキャンプ場では、釉薬のちょうど良い中間物質になってくれる土石群を発見しました。ようやくこれで出来た。そうすると、完成したカップの材料は、すべて安房の自然の中を歩き回って、拾ってきたものだけで出来ました。

―「拾ってきた」という表現がすごいですね。

西山:全部拾ってきたものだけで出来る(笑)。あとは、火ですね。火の燃料は、今は灯油の窯でやっているので、それは海外から掘って持ってきたもの。だけど、そこを薪窯でやるのは、色々なハードルがあって時間がすごく掛かってしまう。窯自体も、やるならこっちの土のレンガでやりたいとか、、それだけで何年もかかる話になっちゃうので、まずはあわ焼が焼けるかどうかです。なので、今は灯油窯でひたすら実験を繰り返している状態です。そして、焼けることがわかってきました。

―釉薬や火まで南房総のものを使うこだわりはすごいですね。

西山:そうなのですが、なかなかここまで説明するのは難しくて。展示会でも、初めての方にはなかなか伝えられないですね。なので、普段の器とは分けて展示する必要があったりとか。そういうのは最近考えています。

―わかると、ものの見え方も違いますね。「全部この辺のものなんだ!」と思うと、感じ方も違いますよね。

西山:あわ焼ができるまでのストーリー性じゃないですけど、そういったものに共感してくれて、先が見たくて応援してくれる方も沢山います。今までこの地になかったものが出来てくる感じは、作ってる僕自身もとてもワクワクしますし。

―素敵ですね。モノがそれを語ってくれるというか。形にする時、造形的な部分というのは、素材からの必然性が強いんですか?

西山:あわ焼に関しては、僕の中の南房総のイメージで作っています。丸っぽいというか。角のないうつわを作っています。

―なるほど。そこはある種の作家性みたいなものが入っているんでしょうか?

西山:出ちゃうとは思うんですけど。今やっているあわ焼に関しては、もっとプロダクト寄りの仕事がしたいというか。もっとスタンダードな形をまずはやりたいと思っていて。普通のシンプルなものをやろうと思っているんです。自分らしい形と言うよりは、「あわ焼」っていう、普通のものがまず作りたいというか。

―須恵器とか、弥生式土器みたいなフォルムにも近いですね。

西山:元々、僕はそういったプリミティブな物が好きで。土器とか、アフリカのおばちゃんが作ってる丸壺とか。国によって全然作り方が違うんですけど、かっこいい形のものがいっぱいあって。その辺には昔から惹かれています。縄文土器、弥生土器は好きなので、そういう形の影響はあると思います。

―土を色々実験されていますね。温度などの関係で形になるとか、釉薬として成立する以外で、さらに自分なりにうつわとして、アリ・ナシのジャッジはあるんですか?例えば、作られている中で、自分が気に入ったもの、そうでないものがあると思うんです。

西山:あわ焼だと、まだそこまでいっていないというか。出来るか出来ないかのハードルをようやく超えたところなので。それは、この先の楽しみかもしれません。もっと良いものというか。そうしたジャッジの目はもちろんあるんですけど。それはこれからですかね。

―こういう形にすると割れやすいなというようなことはあるんですか?

西山:それは一般の陶器と同じですね。安房の土は歪みやすいので、薄っぺらいものとかは作りづらい粘土かもしれないですね。ただ、例えば益子焼の土が砂っぽく粗い土質だったからこそ、ぽってりした温かみのある厚手の器ができたように、その土地の土の特性をよく理解して、それに合わせた器を作っていけたら良いのではと思っています。そういう意味では、今のあわ焼は大小いろいろな器を作りながら、その特性を理解している真っ最中になります。

―そういう色々なトライや失敗は、どういうふうに記録をとっているんですか?

西山:写真で記録したり、窯は全てグラフで記録をとっています。温度帯とかは全部わかるようになっています。

―先ほどおっしゃった、「土に合わせた形」というのは、あまり作為なく自然に、土に任せてというのは変ですけど、土が形を決めているくらいの感じですか?

西山:土に合わせるというのは、その土の特性を理解して、それにあった自然な形に落とし込むようなイメージですね。あわ焼は今まだそのポテンシャルを測っている状態で、それを僕なりに解釈して、まずはスタンダードな形に落とし込めたら、と思っています。

―あわ焼を「こんな人に使って欲しい」というようなイメージがあって作られていたりしますか?

西山:それはやっぱり、ここで生まれ育ったローカルの方々ですね。ここにずっと住んでいて、焼き物が出来るとは思っていなかった人たちに喜んでもらえたらというのが最初のきっかけだったので。それこそ、最初の展示会の時はみんな喜んでくれて。「ここで出来るんだね」って。

―嬉しいですよね。自分の土地から焼き物ができて、それでご飯が食べれたりすると。こうやってあわ焼を通して、たくさんの方達と繋がりができているんですね。土地の魅力とか、意味などを発見しているような感じにも近いですね。

西山:そういった面は多々ありますね。作っていて、失敗もすごく多いけれど、とにかく楽しいですね。あわ土の別の焼き方として、土器もずっと作っていて。弥生式の土器の焼き方で。大きい茶色い長い筒などがそうです。焼き締まってはいないので水が漏れちゃう。いわゆる野焼きの焼き方なんです。藁で焼く焼き方で、壺を並べて大量の藁で覆って着火して、一気に燃やす焼き方です。なので、野焼きの場合はエネルギーも含めて、一貫してこの土地の素材だけを使って作ることができます。藁は米農家の人達からもらっています。藁はいま処理が大変なこともあり、刈る時点でコンバインで粉砕する方も多く、藁自体が少しづつ出なくなってきてはいますね。無農薬でやっている人達もまだ沢山いて、まだもらえる状況ではあります。沢山いただくので、次の窯を焚く時までは「藁ぼっち」を作って保管しておきます。縄文時代は、木をひたすら燃やして焼くんです。あれって、木をひたすら燃やすんですが、熱が全部上に行っているので、熱いのは全部上の空中なんですよね。まだ窯になっていないというか、それが縄文のやり方です。定住を始めて藁が出来てくると、この藁が燃料になるんじゃないかということで焼き物を焼いたと思うんですよね。そうすると、これってすぐ燃えちゃうので、大量の藁の山にして着火する。そうすると、中に熱が籠って上に逃げない。円錐型の窯状態になるんですね。下部の周りから酸素を吸い込んで、酸素が燃えてどんどん温度が上がって。テントみたいな形で上から抜けるようになっていく。そうすると、小さい煙突というか、窯の概念が出来上がっている。酸素供給と、燃える部屋と、上にぬける穴。このテッペンの穴を大きくすると、こっちの引きが強くなって、どんどんと燃えるようになる。濡れた藁で上の穴を覆うと燃焼は弱くなる。いわゆるダンパーですね。なので弥生時代くらいから、ちょっと窯っぽくなっているんだなと。それで、縄文時代よりは薄造りになり、硬く焼き締まったりしているのかなと。

―どんどんと、原点に帰っていく感じがしますね。

西山:探究していくと自然とそうなる面はありますね。

―焼き物って、リサイクル出来るんですか?

西山:うつわを作る時に出た泥やドベは、干して練るとまた使えるんです。焼き物の状態まで持っていったものを、めちゃくちゃ細かくして使うというのは、運動としてはたしか昔聞いたことがあるような。ただ、混ぜるとか……難しいのかな。高温で焼いちゃうと、基本的には戻らないので。低温の素焼き状態なら長い時間が経てば自然に戻ると思います。インドなどの素焼きの器だと、土に帰るのも早いと思います。あっちはチャイを飲んだ後に地面に叩きつけて割ったりするじゃないですか。そういう感じで、使っている国もありますよね。簡単に焼いて簡単に割って自然に戻すのはサスティナブルかもしれないですね。まあインドの場合はカーストなどの関係もあるようですが。

―ものの価値について掘り下げると、例えば、割れたうつわがありますよね。割れたものと割れていないものの違いをどう捉えていますか?まずはプロダクトとして成立しているしていないという話だと思うんですが。例えば割れたうつわでも花器として使えば成立するかもしれない。そういう意味でいうと、自分で狙った用途と、意図せずそこから意味が展開していったものと両者があると思うんです。

西山:そうですね、いいと思いますよ。例えば、割れている土器の大鉢を、接着し直して使ったしています。土を入れると植木鉢になるので、ハーブを育てたりするといいな、とか。まあ割れてしまったものは、商品にはしないで自分で使ったりことが多いですかね。愛着は逆にあったりもするんです。

―いち作家というか、制作者として、割れてしまったうつわが売れるとしたら売りますか?

西山:そうですね。場所を選ぶかもしれませんが、その理解がある場所であれば売ることも良いと思いますよ。

―なるほど。いすみ古材研究所では、ゴミになったり使えないとされたものをまず見立ててみるということを意識しています。そのコンセプトがあった上で、作家さんのネットワークが出来ていって、例えばそういった普通は売れないものが売られているというのも、ひとつ描けたらいいのかなと思います。

西山:いいと思います。商品のラインに乗らないものというか。そういうのは結構あるので、逆にそこをラインにする。そっちのほうが面白い物があったりしますからね。そこにスポットを当てるというのは、面白いと思います。

―そうですよね。作家さんによってはそこの、出す・出さないという判断があるのかなとは思っています。

西山:そこはあると思いますよ。それは作家によると思います。お茶や骨董、古道具好きとか、そう言う見方を面白いと思える人なら良いと思いますね。元々、お茶だって見立ての世界ですし。割れたものや、その時のラインからはじかれたもの、などに目を向けるということはとても大切なことだと思います。

―もちろん、ものの循環という意味で、直して使う、例えば金継ぎみたいな話もあるんですけど、その前に見立てというのがあるなと。そこから入っていきたいなというのが僕らにはあって、「このまま使えるんじゃない、価値があるんじゃない」という。共感していただける職人さんとネットワークを作りながら、我々の拠点で売ったり展示したりできればと思っています。

―西山さんは「見立て」は意識しますか?制作する時など。

西山:制作自体は見立てではなく物を作っているので。見立ては、日頃の生活のほうがあるかな。暮らしていて「これはこれに使えるじゃん」じゃないけど。そういう事は多々ありますかね。自分が制作するものに関しては、最初から何かの見立てにしようとして作るっていうのは無いと思いますね。作ったものがあってそれを何かに見立てるということだと思います。

―今まで作ってきて、使ってくれていた人が、割れてしまったとかで連絡してきたとこはありますか?

西山:ありますね。作家ものの器は一点物が多いので、「欠けてしまったんだけど、毎日使っていて愛着があって、使い続けるのに何かいい方法はありませんか?」とか、そういう人は結構いらっしゃいます。出来る限りお答えしますが、欠けに関しては金継ぎ等しか案内できないかもしれません。あとは、汚れやシミとかそういうものは窯で汚れを飛ばすこともできたりはしますね。器をもう一回スタートラインに戻す事は意外と出来るんですよ。だから使い込んで汚れてしまってあまり使うことがなくなった器なども、焼けば綺麗になるんです。釉薬にも影響がない。特殊な技法でなければ600度くらいまでは、大丈夫だと思います。

―経年の味は保てないけど、それがゼロに戻る、そうした古材の捉え方も面白いかもしれませんね。

西山さんの「あわ焼」の取り組みを見ていると、素材が果たす役割が地域性の媒介からコミュニケーションの媒介へと広がっていることが感じられました。また、新たにうつわを素材として捉えられる可能性も感じました。ありがとうございました。

Information

西山光太Kota NIshiyama

19歳で陶芸に出逢う。明星大学造形芸術学科陶芸専攻研究生過程修了。
2004年に神奈川県相模原市に築窯。2010年、千葉県館山市香へ移住。

Website
Facebook